西 周 初代校長
文政12〜明治30年(1829〜1897)石見津和野の藩医の子として生まれる。文久2年(1862)津田眞道らとオランダに留学。帰国後、明六社に加わり、明治日本の啓蒙と近代化に尽力。わが国で最初に西洋哲学を組織的に紹介、日本近代哲学の父と呼ばれる。<哲学>などの訳語、術語は今も広く用いられている。
大村仁太郎 第4代校長
文久3〜明治40年(1863〜1907)江戸小石川水道端に幕臣の子として生まれる。明治9年(1876)東京外国語学校ドイツ語科に学ぶ。卒業後、17歳にして同校語学助教授としてドイツ語の教鞭をとった。
明治19年(1886)学習院教授となり二年間欧州留学。帰国後、学習院を退き獨逸学協会の学校教育に専念。

天野貞祐 第13代校長
明治17〜昭和55年(1884〜1980)神奈川県津久井町の名主の家に生まれる。明治30年(1897)獨逸学協会学校に入学。第一高等学校を経て京都帝国大学文科大学哲学科卒。卒業後、七高、学習院教授を経て京都帝国大学教授となる。日本で最初の本格的なカント哲学研究者。文学博士。昭和25〜27年(1950〜1952)第三次吉田内閣の文部大臣となる。退任後、昭和27年(1952)母校の獨協中学・高等学校長となり学園の復興と新生を指導した。昭和39年(1964)獨協大学を設立し初代学長となる。昭和48年(1973)獨協医科大学の創立に努めた。文化功労者、勲一等旭日大綬賞を受賞。「天野貞祐全集」全9巻等がある。
沿革(学校の歴史) |
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| 1881 | 明治14年 | ドイツ文化の摂取移入の目的で獨逸学協会が設立、北白川宮能久親王を総裁とし、品川弥二郎、桂太郎、青木周蔵、加藤弘之、西周らが名を連ねる。 | ![]() (左から)北白川宮能久親王、 桂太郎、加藤弘之 |
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| 1883 | 明治16年 | 獨逸学協会の事業として獨逸学協会学校が創立、日本近代の父と呼ばれ「哲学」の訳語でも知られる西周が、初代校長に就任する。これが獨協中学校の前身である。 | ||
| 1884 | 明治17年 | 専修科と普通科を併設。専修科では一流ドイツ人学者によるドイツ法制・経済の教授が行われ、高級司法官僚へ多くの人材を送りだした。 | ||
| 1893 | 明治26年 | 普通科を獨逸学協会中学校と改称。 | ||
| 1895 | 明治28年 | 帝国大学獨法科の整備に伴い専修科廃止。第4代校長大村仁太郎は、中学校としての獨協の基礎を築くとともに、日本のドイツ語教育における歴史的業績を残した。このころ生徒として大村の薫陶を受け教育を志した天野貞祐が、戦後獨協中学校復興・新生の中心を担うことになる。 | ![]() 明治35年 新築の関口台町 (現在地)校舎 |
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| 1948 | 昭和23年 | 新制獨協中学校、高等学校が発足 | ||
| 1952 | 昭和27年 | 天野貞祐が第13代校長に就任。教科教育を軸とする「人間教育」を柱に、その高い精神性と指導力によって、現在の獨協中学校の基礎を築いた。 | ![]() 天野貞祐 |
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| 1964 | 昭和39年 | 獨協大学を創設 初代学長 天野貞祐 | ||
| 1973 | 昭和48年 | 獨協医科大学を創設 初代学長 石橋長英 | ![]() 旧校舎 |
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| 1980 | 昭和55年 | 獨協埼玉高等学校を併設 初代校長 矢嶋仁吉 | ||
| 1987 | 昭和62年 | 姫路獨協大学を創設 初代学長 須田勇 | ||
| 1997 | 平成9年 | 獨協中学・高等学校、完全中高一貫制スタート | ||
| 1998 | 平成10年 | 獨協中学・高等学校、新校舎完成 | ![]() 現在の校舎 |
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| 2001 | 平成13年 | 獨協埼玉中学校を併設 | ||