獨協中学・高等学校
周辺環境
周辺環境写真
都内を一望に見下ろす城西の目白台に位置し、蒼々たる樹木に四周を囲まれた、閑静な文教地区にあり、都内有数の理想的環境です。
周辺地形図

写真 1 東京カテドラル聖マリア大聖堂

カトリック関口教会(1900年創立)の教会堂で、カトリック東京大司教区の司教座聖堂(カテドラル)である。1899年に建った最初の聖堂は木造でゴシック様式の建物だったが、1945年の東京大空襲で焼失。1964年(昭和39年)現在の大聖堂が建てられた。建築家丹下健三の設計で、国立代々木競技場と同時期の作品である。

写真 2 椿山荘

山縣有朋が明治11年(1878年)上総久留里藩墨田豊前守の下屋敷であった「つばきやま」を購入し「椿山荘」と命名する。昭和20年の空襲で、山縣公爵記念館や一千坪の大邸宅、樹木の大半を消失。昭和23年(1948年)藤田興業の所有となり、一万有余の樹木を移植し、椿山荘を復興した。現在は結婚式場とホテルになっている。ちなみに学校前の目白新坂は椿坂とも呼ばれる。

写真 3 関口芭蕉庵

この地は、江戸前期の俳人松尾芭蕉が、延宝5年(1677)から延宝8年(1680)まで、神田川改修工事に参画し、「龍隠庵」(りゅうげあん)と呼ばれる庵に住んだとつたえられている。後に世人は「関口芭蕉庵」と呼んだ。 享保11年(1726)、芭蕉の33回忌に当たり、芭蕉の木像を祀る芭蕉堂が建てられた。その後、去来(きょらい)・其角(きかく)・嵐雪(らんせつ)・丈草(じょうそう)の像が共に安置された。
芭蕉は、早稲田田んぼを琵琶湖に見立て、その風光を愛したと言われている。そこで、寛延3年(1750)宗瑞(そうずい)・馬光(ばこう)らの俳人が、芭蕉の直筆「五月雨にかくれぬものや瀬田の橋」の短冊を埋めて墓とした。この墓を「さみだれ塚」と称した。塚は芭蕉堂の近くにある。
芭蕉庵の建物は、昭和13年(1938)3月、近火で類焼したが、同年8月再建された。昭和20年(1945)5月の戦災で再び消失した。
敷地内には、芭蕉堂・さみだれ塚・朱楽菅江歌碑(あけらかんこう)・伊藤松宇(しょうう)の句碑などがあり、往時をしのぶことができる。(文京区史跡指定)

写真 4 永青文庫

この地は、中世室町幕府の管領家の一門であり肥後熊本54万石の大名であった細川家の下屋敷跡である。細川家がここに入ったのは幕末で、当時は3千坪であったが、その後少しずつ拡張し、新江戸川公園・永青文庫を含む神田上水から目白通りに及ぶ約3万8千坪の広大な敷地であった。
永青文庫は、南北朝時代から現在に至る歴代細川家25代の間に蒐集された細川家の歴史資料や文化財、及び24代護立氏が蒐集した近代日本画、中国の考古品、陶磁器などを以って昭和25年に設立された。
昭和47年に登録博物館となり一般に展示公開されている。(文京区史跡指定)

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