秋に寄せて
秋にまつわることわざ、慣用句は多い。
曰く、「秋の日はつるべ落とし」「秋の夜長」「女心と秋の空」「秋茄子は嫁に食わすな」などなど。他にも「灯火親しむべし」という教訓も、秋という字は直接使われていないけれど秋の夜長を無駄にするなという教えを示したもので、やはり秋にまつわることわざの一つである。
そんな秋のことわざの中でもよく聞くものの一つに「天高く馬肥ゆる秋」がある。「天高く」の部分は「秋高く」とも言われるが、秋の空は高く澄み渡り、馬もよく食べて太るという意味から、秋の爽やかさとと豊かさを讃える言葉として、あるいはまた「食べすぎにご用心」という忠告の言葉として、広く使われている。
しかしこの言い回しが、本来はまったく違った意味を表す言葉だったということを知ったのは、私もずいぶんあとになってからであった。この言葉の元になっているのは、今から1300年以上前に作られた漢詩の一節である。漢詩の作者は、645年(「大化改新」が始まった年!)生まれの唐の詩人・杜審言(としんげん)。その杜審言が、友人で同じく詩人の蘇味道(そみどう)に送った五言律詩「贈蘇味道(蘇味道に贈る)」の第五句に、次の句が見られる。
「雲淨妖星落 秋高塞馬肥」
【訓読】「雲浄くして妖星落ち 秋高くして塞馬肥ゆ」
【口語訳】「雲が清くなり不吉なことが起こりそうだ。秋の空気が澄みわたって、空が高く見えるようになると北辺の馬はたくましく成長している。」
このとき蘇味道は、北方の守備隊に書記として従事していたと伝えられている。杜審言はその友に詩を送り、「秋が深まると、体力をつけた馬に乗って北から敵が攻めて来るから、気をつけろよ」と注意を促しているのだ。国境警備の緊張感が伝わってくるではないか。こうしてみると、暢気に「食べすぎに注意しろよ」などという意味で軽々に使ってしまっていることに申し訳なさを感じてしまうくらいだが、翻って、いまこうして秋の恵みを腹いっぱいに食べ、暢気に暮らせていることのありがたみを改めて感じる次第である。
ちなみに、この詩人・杜審言(645~708年)は、あの「春望」(国破れて山河在り 城春にして草木深し…)の作者である杜甫(712年~770年)の祖父にあたるそうだ。このことは、今回調べて初めて知った。
目白通りから見た校舎。銀杏の葉の色づきはまだ。
11月3日の学校説明会
体育館上グラウンドでは中学サッカー部が練習中